努力ってのは方向性に注意する必要がある

公開日: 2018/08/14 ダラダラと駄文

僕たちは毎日なにかをよくしようとして生きていると思う


僕たちは毎日もがく、そしてあがく


僕たちは幸せになりたい、僕たちは昨日の苦労をそのまんま次の日に繰り返したくない、僕たちは日々進歩していることを実感したい。

自分ではわかってる「努力は必要」

でも「努力のみかえりであるわかりやすい成果」はその瞬間瞬間実感したい。
どんどん気持ちが高揚して、勢いがガンガン出るからね。

では僕たちは何を考え、何かをのこしそして、次に簡単に実行できるようになる仕組みを作らくてはならないのだろう?

ずっと感じてた疑問について


どんどん実績を作る人と、実績ができなくて埋もれてしまう人の違いはなんなんだろう。
その違いがわかってない自分としては連休とかがあると「振り返る時間」ができてしまうのでとても落ち込む。

「どうにか這い上がれないんだろうか?」とか考えてしまって足掻いてしまう。答えを探そうとしてしまう。いや、ただできないことが出来るようになりたいだけなんだけど

できないことができるようになるタメにはくじを引く回数が重要になる


「上手く成功したい」とか、「簡単にできるようになりたい」って人が陥るワナはこれ
失敗を恐れるからクジが引けない。余裕がないからクジが引けない。

もっと簡単に言えば「失敗を何回でもできる精神的、経済的余裕がない」ってことだと思う。
特にワープアな環境の人が這い上がれないのはこれが原因だと思う。

逆に考えれば「クジを何度でも弾ける環境とか、経済的基盤を作る」ことができると、クジは何度でも引くことができる。

経済的に逆回転が始まると思う。この考えは重要だと思う。

ボクが地べたにいて始めたことやったこと


最下層は自分の身体をチップにして掛けるしか現状を好転することができない、環境を変化させる事ができない、そうなんだほかにナニもかけるものがない。

自分の頭で感じたことを考えて次につなげるしか、自分で感じる課題を作ることができない。
だから毎日「ナニができたのか」とか「ナニができなかったのか」を目の前に具現化するしかなかった。

紙に「ナニができたのか、そしてそれを次にやる時どうしたら簡単にできて同じクオリティー’にできるのか?」を順番を入れ替えたりして作ってっみる。こんなことを毎日した。


成果が出なかったことを有効活用できたらナニが見えるのか?


成果が出なかった事、つまりゼロにしかならなかったものを「イチにならなくても」0.イクラに拾っていく行動、そして毎日の習慣


努力の力を甘くみてはいけない


僕たちは非力だ、そして脆弱だ。だから日々「ダメなところの最低ラインを地道に上げる必要がある」

神様がいるとするなら彼らの欠点をつくしかない。

神様は全知全能、でも持久力がないからボクら才能がないものは毎日の積み上げで対抗する。


できるかもしれない、できないかもしれない。できなくってもいいと思う。ボクが向かっていってるのは神様なんだから。だから全力でブチかましていきたい。(適当な作文なんですけどねw