運のいい人になる

公開日: 2018/08/12 ダラダラと駄文




運のいい人のまねをしたい




トコトン運のいい人ってのに憧れる


運がいいに越したことはない、何かを思いついて始めたらそんなに苦労しなくてそこそこ上手くいってしまうとかゆーのをまじかで見てしまうと「なんて羨ましい」とか思ってしまう。

でも自分でやってみるとそもそも何も知らないから調べてみたりなんかは手はじめで、調べることがある程度溜まってきて見よう見まねでやってみて大抵できなくてそのあと考えて「あれーさっきココをああやったほうがよかったんじゃね?」とかいっぱい出てきたりする。

そこで自分なりの回避案を考えて、また調べてそれからもう一度やってみてまたできなくての繰り返しがよくやってるパターン。これしか知らない、これしかやってない。

ダメ元でやってみたこともトントン拍子で出来てしまうこともある



これはチョーまれなんだけど、偶然ヒラメキが当たっちゃうってこともある。その時は「(=・ㅂ・)و ̑̑ グッ !」って感じなんだけど、うはハーって喜んでる。

何かをしたいときには何度もできないことが当たり前という考え方


できる時もあるしできない時もある。だからできない時が普通ってことを基本にするといいなーってことにした。

何度も挑戦してできるようになるしかない。そうすると挑戦する時間をどう確保するか、挑戦する体力をどう残すかって話が出てくる。挑戦する気力ってのもある。

今やってることに改善をしていく


例えばこのブログ、数日続けてるけどどこまでも低品質なので毎日書くことができる。毎日書いてると作り方がこなれてくる。つまり簡単に書くことができるようになった。

同じくらい低品質だけど作る方法がわかってきて書き上がる時間が短縮している。作り方の工程が確立しようとしている。そこで工程を俯瞰して眺めて「ここ簡単にできね?」とか「この工程無駄じゃね?」とかイジってみることにする。

時間が余ってから考えること


あんまりそこは考えないんだけど、毎日してると気がつくことが出てくる。新しいアイデアが浮かんでくる。今度は余った時間でそのアイデアを試してみる。これも何回もやってみてその中で偶然的にできたりしちゃったりする。

だから時間を余らせるってのは基本原則、同じ作業は効率化をまい日やること。それしかない。

毎日やって時間を余らせて何度もカイゼンしたらできるようになる?


アキラめなければ成功するよなんて精神論はキライだけどこの方法も一つの方法
ただ自分がしたいことだからいいんだけど、できるようになっても「そんなによかったってことにならなかった」ってことにならなければいいけどねってことは多い。

だから何か新しいことを始める前には「それができるようになってどうなのか?」って自問することおおすすめする。

ほんと運のいい人になりたい